平井洋一 @pira@m.pira.jp

にんじんを生でぼりぼりかじっている。

真夜中にキャベツ数えて出世する

「強項令出」だった。

とりあえず、つまらないことを一種類定義して、これには関わらないと公言しておいた。最初から一度もやらないのが大事だ。

つまらないことに関わらないように気をつける。

職場にて、「ばかはidiotだよね、ばけは?」と聞かれて変身することとか幽霊とかと答えた。さらに「ばくは?」と聞かれたので、想像上の動物で夢を食うと言ったら、周りの人々が次々に質問してきた。「未来の夢か、夜に見る夢か」と。未来の夢を食う妖怪は確かに恐ろしい。

なにか決めるたびに疲れ果てているようでは、いかんなあ。

サイレンが聞こえたら、マストに縛り付けてもらう。

献上した玉を皇帝に認めてもらえず脚を斬られても、また別の皇帝に献上するというのは、よほど悔しかったのだろう。

いろいろなつじつま合わせで規則が煩雑になっていくところでは、年長者が、この決まりがこうなっている理由はあのときあんなことがあったからだと説明してくれると便利なものであるけれども、だいたい規則は単純にしていかないといけない。

大勢を見ているぶん、あっちは穴だとかこっちも見ればとか言いたくなるのは、べつにいいのかもしれない。

向いている人と向いていない人の差は年の功では埋めがたく、向いていない年長者がいばるとよいことがない。いばる以外に楽しいことがあればそっちに専念してもらえばいい。楽しみは不真面目と思いなして、つまらないことに耐える代わりにいばるというようなつもりの人は、ことあるごとに何かに耐えるよう求めてくるので、遠ざける。

1980年ごろの人はそのへんどう思ってたんだろう。

10年くらいすると、10ユーロくらいでヨーロッパ中どこでも自動運転の車で行けるようになるんだろうか。とすると、今お金を使うより10年後に使ったほうがつかいでがあったりして、金利が安くても貯金しちゃうんだろうか。

そうするとどうすればいいかというと、見晴らしのよいところにいて、おもしろそうなものはちょっとずつ眺めて、賭けに値する賭けなんてあるのかないのかしらないけれど、見つかるまでは、昼行灯のような調子でもそもそと過ごすことになる。

世界のゲームの設計を設計し直す試みは、犠牲者が多い。皮肉な結果に陥ることがある。大事なことは何事も、たぶん、うまくいかない。

生活のために信条を曲げる羽目に陥らないのは、なんとむずかしいことだろう。素っ頓狂なことを述べるほどクリックを稼げる世の中では。

ただ、話すのを断っただけで、その断りの文句を引用してくるような人たちもいるので、何も言わないで無視するしかない場面もある。

一緒に何かしようとしてくる人の、目的に賛成できなかったり、手段が目的につながらなかったり、おそらく失敗すると思われたりする場合には、そのようなことはしないのがよいからやめなさいと述べて協力しないのがよいだろう。